お香文化の歴史2 ~奈良時代・平安時代~
アジアの中の日本が意識された奈良時代
香木類は東南アジアが原産地であり、日本に香木類が伝わるためには大陸との交流が必要であり、遣隋使・遣唐使をはじめとする大陸との交流によって、香木類は日本に伝わるようになりました。
奈良時代の香木として有名なものが、正倉院に所蔵されている「黄熟香・蘭奢待(らんじゃたい)」です。正倉院には東大寺建立を発願した聖武天皇の遺品など奈良時代の宝物が収められていますが、蘭奢待には足利義政・織田信長・明治天皇が切り取った旨の付箋が付けられています。
754年、鑑真和尚が来日します。鑑真和尚は仏教の戒律だけでなく、香の配合の知識や香薬の製法も伝えます。当時の貴族たちは、香木を知り、その香りのよさも知り始めていたので、香りを調合することで、新しい香りの世界が広がることを初めて知りました。
そして仏の前で供養として焚かれていた香は、貴族たちの生活を彩るものへと幅を広げ始めます。
蘭奢待
平安貴族と香文化
平安時代になると「空薫物(そらだきもの)」という言葉が使われるようになります。
空薫物とは、「どこからとも知れずに香ってくるように香りを焚くこと」「室内や衣服や頭髪などに香をたきしめること」で、香が仏前供養から離れて、日常生活空間に広がったことがこの言葉からうかがえます。
空薫物は貴族の文化そのものであり、貴族が身につけるべき教養でもありました。そして貴族が身にまとう香りは、その貴族の人柄でもありました。
この時代、代表的な香の調合として「六種の薫物(むくさのたきもの)」というものがあり、調合された香りを身にまとうことがその人のステータスであったといえます
「源氏物語・若紫」の一節に「そらだきもの、いと心にくく薫り出で、名香の香など匂ひみちたるに、君の御追風いとことなれば、内の人びとも心づかひすべかめり」というのがあります。
これは、
「空薫物が、とても奥ゆかしく香って来て、名香の香などの匂いが満ちている所に、源氏の君の香りを運ぶ追い風がとても格別なので、奥の女房たちも気を使っているようである。」
という意味です。
これにより当時の人々が、顔は見えなくとも香りでその人を思い、すれ違いざまに香りに心を寄せる情景が目に浮かびます。