仏壇の普及と当時の社会情勢
江戸時代初期、「檀家制度の採用」「木工加工技術の大幅な向上」「経済の発展」などの条件が整い現在の仏壇が誕生しました。
核家族の登場
戦国時代が終わり、江戸幕府による安定した統治により経済が安定すると、家族形態にも変化が起こり「核家族」が初めて登場します。これは核家族でも食べていける経済的背景が生まれたということです。戦国時代までは同族集団が社会を構成する単位でしたが、経済状態が向上すると同族集団が解体され、社会構成の単位が一族単位から家族単位へと変化していきました。
同族集団が解体される前、一族にはそれぞれの祖先を祀る氏神や氏寺を持っていましたが、一族が解体されて家族単位になった時に、核家族の多くは檀家制度における檀那寺に自分たちの祖先を祀ることを望みました。
つまり檀家制度は時代のニーズでもあったわけで、檀家制度がスムーズに江戸時代に広まり定着し現在でも続いているわけです。
一族から核家族へ
正当な相続人=位牌持ち
仏壇は江戸時代に普及しましたが、同時に位牌も江戸時代に普及しました。
現在に見られるような家族が登場すると、それぞれの家族が財産を持つようになります。その財産は相続されていくわけですが、それを象徴するのが位牌でした。葬儀の時に位牌を持つのは、家産を引き継ぐ人であり正当な相続人というわけで、この慣例は位牌が普及したころから存在したと考えられており、位牌が普及した1700年代にはすでにあったと思われます。
江戸時代初期の経済発展による核家族化、それによって生まれた財産を一子相続させるために、位牌は相続人の象徴としての役割を果たしていましたが、その財産相続の正当性を示す位牌を祀る場所として仏壇が存在するという側面もあったわけです。