床の間は仏壇から生まれた?

床の間

床の間(とこのま)とは、日本の家の畳の部屋に見られる座敷飾りのひとつで、正しくは「床(とこ)」といい、床の間は俗称とされています。もともと仏家より出たもので、押板と棚に仏像を置いていたといわれ、これが武家に伝わり仏画や仏具を置く床飾りが広まりました。

押板(おしいた)は掛け軸をかける壁に置物や陶器などを展示する机を合わせたもので、その用途のまま近世の茶室建築に造られた「上段」が床の間となりました。

 

 

床の間は大正時代には四畳半1室の家にも造るように提案するくらい欠かせないもので、室内の最も大切な場所として物を飾る固定の場所が用意され、季節などに応じて飾る美術品を替えて楽しむという床の間のありかたは西洋の建築家にも影響を与え、日本文化を語る上で欠かせないものとなっています。

床の間の起源は仏壇?

 

床の間の発生に関しては、実は明らかになっていませんが古い民家で位牌を床の間に祀っていたことから、床の間は仏壇から生まれたのではないかと考えられており、江戸時代の故実家・伊勢貞丈によると、鎌倉時代頃から禅の流れを汲み、武家の人々が座敷の上座に床を作ってご本尊を置き、仏絵を掛けて三具足を飾ればそれは仏壇である、と書かれています。

これは現在の仏壇とは違いますが、南無阿弥陀仏の六字名号を床に飾り、その前に三具足を飾ることは在家・寺院を問わず行われており、現在も見慣れた光景になっています。

掛け軸と三具足(左から花立て・香炉・鶴亀の燭台)

 

仏棚

 

江戸時代には、仏棚や神棚が作られていました。仏棚はあまり聞きなれない言葉ですが、棚を作り、そこを花頭窓(かとうまど)で飾ったもののことです。

花頭窓は上部が尖ったアーチ状の窓のことで禅宗寺院の建築とともに中国から伝わり、茶室などで床の脇書院の窓で多く用いられています。

江戸時代の初期に棚のサンプル見本帳が広まりました。この見本帳は「雛型」と呼ばれ、棚の雛形は「四十八棚」「五十棚」という基本パターンがあり、この中に仏棚と神棚も記載されていることから、仏棚も仏壇として機能していたと考えられています。

花頭窓(東福寺)