銀閣寺とは?室町時代・東山文化の代表 銀閣寺に銀箔は貼ってない?
正式名称は慈照寺
銀閣寺は、京都市左京区にある臨済宗相国寺派の寺院で、正式名を慈照寺といい、室町時代後期の東山文化を代表する建築物です。
銀閣寺は、金閣寺(鹿苑寺)をかなり意識した造りになっていて、観音殿(かんのんどう)である銀閣は金閣寺の舎利殿(金閣)を模して建てられています。そしてこの銀閣を含む寺院全体を銀閣寺と呼んでおり、古都京都の文化財として世界遺産に登録されています。
銀閣寺は室町幕府の8代将軍足利義政が応仁の乱によって焼失した浄土寺の跡地に建てた東山山荘を義政の死後に改めたもので、寺号は義政の法号である慈照院からとっています。
東山文化の代表作
室町時代の初期の京都では、武士と公家と禅宗が合わさり、その中でも優美な公家の影響を受けた北山文化が栄えました。金閣寺はその代表例です。
東山文化は、北山文化を継承しつつも禅宗の影響がより強く出ており、「わびさび」を基調とした簡素なものに美しさを見出すことが尊重されました。その「わびさび」の集大成が銀閣寺です。
銀閣寺の観音殿(銀閣)は2層構造で、第1層は書院造で第2層は禅宗様式と呼ばれる寺院建築の様式になっています。書院造は床の間やふすま・障子が使用された部屋で日本の現在の住宅建築の基礎になったものです。
また銀閣寺の庭園は枯山水(かれさんすい)と呼ばれる水のない庭園で白砂や岩で山や水を表現する手法が取り入れられています。
銀閣に銀箔は貼ってない?
金閣寺を訪れた後に銀閣寺を訪れた人の中には、「銀閣寺って銀色じゃないよね?」という人が少なからずいると思います。
銀閣寺は金閣寺を模して造ったとされていますが、もとから銀箔は貼られてなかったそうです。
これには諸説がありますが、銀閣寺の建設が着工されたのが1482年と応仁の乱の直後で、戦争による財政難で銀が用意できなかったという説が有力ですが、足利義政自体が文化人気質で派手さを好まない人間だったために、初めから銀箔を貼るつもりはなかったという説もあります。今となっては本人に聞いてみないとわからないことですが。
銀閣寺には決して金閣寺のような派手さはないですが、「わびさび」の心が感じられるお寺だと思います。