善導大師とは?~念仏を中心とした浄土思想を確立~

善導大師とは

 

善導大師は、中国浄土教の僧侶で「称名念仏(しょうみょうねんぶつ)」といわれる仏さまの名号、特に浄土教においては「南無阿弥陀仏」の名号を口に出して称える念仏を中心とした浄土思想を確立した人物です。

 

善導大師の生涯

 

善導大師は隋の時代613年に、泗州夏丘県(安徽省宿州市泗県)、あるいは青州臨淄県(山東省淄博市臨淄区)に生まれたとされており、子供の頃に見た西方浄土を描いた浄土変相図を見て深い感銘を受け、幼くして出家します。

出家後、各地を転々とした善導大師は641年に道綽禅師(どうしゃくぜんじ)に師事し、「観無量寿経」の教えを受けます。

645年に道綽禅師が亡くなった後は長安の南の終南山悟真寺で厳しい修行を行い、その後は長安に出て、10万巻にも及ぶ阿弥陀経を写経して人々に与えたり、浄土の荘厳を絵図にして教化するなど幅広い活動を行い、69歳で亡くなりました。

 

日本の浄土系宗派に大きな影響

 

善導大師の教えは、後の中世日本の法然上人親鸞聖人に多大な影響を与え、浄土宗では「浄土五祖」の第三祖、浄土真宗では「七高僧」の第五祖とされています。

浄土宗の仏壇ではご本尊の脇侍として善導大師を祀りますが、善導大師の絵像には口から雲にのった阿弥陀仏を吐き出しているようなお姿で描かれているものがあります。

 

 

これは法然上人が毎日念仏を称えていたところ、腰から下が金色に輝いた善導大師が現れて説法をしたという言い伝えを表現したもので、念仏を称える善導大師の口から阿弥陀さまが出てきたことが描かれており、10万巻にもおよぶ阿弥陀経を書き写した善導大師への敬意が込められています。