日本の仏像様式の変遷 3

鎌倉時代

貴族中心の時代から武士の時代に変わっていった鎌倉時代、文化面でもそれまでの華やかなものから質実剛健なものが溢れます。また宋との交流によってもたらされた様々な文化も影響を与え、仏像の作風にも表れています。

鎌倉時代の代表的な仏師といえば、運慶と快慶があげられます。彼らは慶派の仏師で、慶派は奈良仏師とも呼ばれ、当時の国家プロジェクトであった東大寺・興福寺の復興を支えました。東大寺南大門の金剛力士像(仁王像)は彼ら二人とその弟子が造ったものとしてとても有名で、門には阿形・吽形の2体の仁王像が向かい合わせで配置されています。

 

東大寺南大門金剛力士像(阿形)

トップの画像が吽形のもので、あわせて阿吽の呼吸というわけですね。見分け方は口が開いているのが「阿形」で、口を閉じているのが「吽形」です。

 

 

室町時代~安土桃山時代

 

平安時代の末期から鎌倉時代にかけて「鎌倉新仏教」と呼ばれる浄土宗や浄土真宗、臨済宗、曹洞宗などが次々と誕生しました。なかでも禅宗は文化面で大きな影響を与えます。銀閣寺・龍安寺の石庭(枯山水)・雪舟の水墨画などの渋い芸術は禅の要素を取り入れたものの典型例です。

龍安寺枯山水庭園

 

鎌倉仏教が浸透し広がりをみせる一方、仏像については室町以降、大規模な造仏は激減していきました。

これは各派がこれまでほど造仏を重視せずに、念仏や題目や座禅など日常の信仰を重視したからです。

室町時代の仏像は、これまでと大きな違いはないですが、鎌倉時代の様式を受け継いでより技巧的になった、といった感じでしょうか。

奈良 長谷寺 十一面観世音菩薩立像

 

江戸時代

江戸時代、幕府によって進められた檀家制度によりお寺は役所としての役割も果たすようになります。

仏像に関しては今までの様式を踏襲したものが造られますが、円空(えんくう)や木喰(もくじき)などの伝統にとらわれない自由な作風の仏師も現れます。

円空作 十一面観音立像他2体

木喰作 蔭涼寺 薬師三尊像