日本の仏像様式の変遷1

仏像が初めて作られたのは1世紀後半の北西インド、現在のパキスタン付近であるガンダーラ地方であると言われています。

当時は比較的自由な発想で作られていたので形が一定していませんでしたが、その後、広い地域で仏像が作られるようになると、儀軌(ぎき)とよばれる細かいルールも作られ、次第に形が一定してきました。

飛鳥時代

日本で仏像が作られ始めたのは飛鳥時代までさかのぼります。

仏像は朝鮮半島から来た止利仏師(とりぶっし)によって作られていました。

止利仏師の作品は止利様式といわれ神秘的な作品が多く、ほとんどが銅と木で作られています。

飛鳥時代の仏像は、目がぱっちりしており、口元の両端が少し上がり、かすかに微笑んでいる「アルカイック・スマイル」が特徴です。

有名なものとしては、法隆寺釈迦三尊像、中宮寺の菩薩半跏像、元興寺釈迦如来坐像(飛鳥大仏)などがあります。

法隆寺釈迦三尊像

白鳳時代

白鳳時代とは大化の改新(645年)から平城京遷都(710年)までのことを指します。

飛鳥時代の仏像が大陸からの影響を受けたものであったことに対し、白鳳時代の仏像は和様式へと大きく変化します。

主な特徴としては、仏像の目は瞑想するような半眼になり、アルカイック・スマイルも消えます。

頭にかぶる宝冠が山型のものから三面宝冠となり、その中央には観音菩薩の象徴である「阿弥陀の化仏」が必ずあらわされるようになります。また台座が蓮弁が出来て、華麗な台座になりました。

白鳳時代の代表的な作品は、薬師寺薬師如来三尊像、東京深大寺釈迦如来倚像、法隆寺阿弥陀三尊像などがあげられます。

薬師寺薬師如来三尊像

天平時代

天平時代とは、平城京遷都(710年)から長岡京遷都(785年)までを指し、いわゆる奈良時代のころをいいます。遣唐使が再開され唐の文化の影響を色濃くうけているのが特徴で、唐の様式の仏像や、乾漆、塑像などの新しい素材を取り入れた仏像が造られました。造形は写実的な要素が大きくなり、白鳳時代の童子型の面相から理知的な大人の面相を持つ者が多くなります。

この時代、国の重要政策の中に大規模寺院の造立があり、「仏師」は国家公務員としてエリート扱いを受けていました。なかでも東大寺の造営に際しては、「造東大寺司」という役所が設けられ、仏像はたくさんの仏師によって組織的に作られてました。

天平時代の作品で有名なものといえば、東大寺の盧舎那仏(奈良の大仏)があげられます。

東大寺盧舎那仏

つづく