われわれ日本人にとって本当に大切な事は何か?
私は大阪で生まれ幼少期を横浜で過ごしましたが、中学生の時に祖父の下で仏壇業の後継者として修行をするために親元を離れ、単身大阪に戻ってきました。位牌を彫ることから教わり、休みの日は仏壇配達の手伝いをして過ごす日々。そしてこのころから経営者として、人としてどうあるべきかということを祖父から徹底的に叩き込まれたことは、現在の私という人間の根幹を支えるものとなっております。
当時私はキリスト教系の学校に通っていましたが、登校前に家でお経を上げ、学校では聖書を読む、という生活に少し違和感を覚えていました。ある日、宗教科の先生(牧師)に「仏教徒である自分がキリスト教の教えを学んで良いものか」と相談したところ、「あなたのように仏教とキリスト教を同時に学べる人は珍しい。きっと将来役に立つ事があるから何も気にせず学びなさい」と言われ心がスッと軽くなったことを覚えています。
大学卒業後、アメリカへ留学、そののちカナダ・インド・タイ・ベトナムで仕事をしていた時期があり,異国の地で生活することにより自分が日本人であることを強く感じると同時に日本人であることを誇りに思えました。海外からよく、日本の技術力やおもてなしの心は素晴らしいと言われることがあります。しかし、それははるか昔から代々日本人に受け継がれてきた伝統や精神のなせる術であり、一朝一夕で作り上げられたものではありません。そこで私がこの古き良き日本のこころを守っていくために何ができるのか?
家業を継いだ現在、私たちの思いのこもった仏壇・仏具の販売を通して伝統工芸品の素晴らしさ、そして生きることの大切さを伝えていきたいと思います。
株式会社滝本仏光堂 四代目代表取締役 滝本佳之
社名 | 株式会社 滝本仏光堂 |
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所在地 | 本社/大阪府守口市梅園町2-22 |
事業所・支店 | 本店第一展示場・第二展示場・第三展示場・枚方店・巣本店・香芝店・甲西店・福井店 |
創業 | 文久3年(1863年) |
設立 | 昭和57年7月 |
代表者 | 代表取締役 滝本 佳之 |
展示場数 | 6展示場 |
事業内容 | 仏壇・仏具・寺院仏具・神具・墓石の製造販売 |
梨子ケ平道場の歴史をたどると、室町時代に滝本家の先祖が蓮如上人(浄土真宗八代目当主)の布教の拠点としていた吉崎御坊(福井県あわら市)に出向いて学び、村に戻り、村人たちに念仏や法話を伝えた場所であった。このような寺院がない環境でも滝本家の自宅を「念仏道場」として開放し、道場主として滝本家は布教に努めた。また交通の便の悪い地域であった梨子ケ平では死者が出た場合にすぐに僧侶が来られないため、滝本家が代役として通夜を取り仕切ることもあった。その流れで現在でも毎年10月に報恩講が行われている。(平成30年(2018年)まで毎年春には、御本山より御使僧様が来られ法要が行われていた。)
歴史と山紫水明の地として今につたわる梨子ケ平。その昔、“一の谷の戦”で敗れた平家の落人が隠家としてつくった七つの“平”のうちの一つである。時代は移り徳川幕府の頃、梨子ケ平は天下の直領、すなわち本坊領土として栄え、滝本家は大庄屋をつとめ共に発展してきた。有名な越前水仙の発祥地として、晩秋から春彼岸にかけては水仙の花の咲き乱れる風情豊かな地である。
時は明治、大規模な城郭や家屋建物が相次いだため、材木の需要が高まり創業者滝本作兵衛は地元、越前海岸居倉に材木を集め三国港へ流通させる大きな材木商を営んだ。
三代目代表取締役 滝本正 (大正十五年 福井県丹生郡越前町梨子ケ平生)
時は大正。美しい梨子ケ平で農林業を営む家に生まれた滝本正は、少年時代から何か人のためになる仕事をしたい、と望む少年だった。やがて福井農林学校在学中に志願にて第二次世界大戦に従軍。陸軍特別幹部候補生空隊戦闘機部隊に所属、マレーシアにて戦火をくぐり終戦、復員後卒業。数えで二十の年であった。
戦争体験で何よりも強い意志を身につけた滝本正は、いちはやく戦後経済の復興気運をとらえ、昭和二十二年故郷に製材所を作る。その後仏壇の製造に着手。同時期仏門に帰依することを望み、京都府八幡の忍徴院にて二年間の修行に励む。
その後、滋賀県日野町平子の澄禅寺において、井上上人(元知恩院副管長)に仕え、上人より特別の才を見出されて仏壇店を興すよう薦められる。以後滝本正は全国をまたにかけての仏壇修復の旅で技術を磨く。その数は千基にものぼった。滝本正を動かした信念は「ひたすらな努力は必ず道を切り拓く」。昭和三十五年、滝本仏光堂は大阪府守口市にて一号店開設。
人々の暮らしに安らぎを届ける企業として、順調に店舗を拡大。滝本正と滝本仏光堂の歩みは、また、滝本正とそれを支える者たちとの息の合った歩みでもあった。父作治、母りゆの生涯を通して親孝行であったことが、滝本正にとっては精神的に大きな支えであり、又、中でも妻、滝本富子は、福井女子師範学校卒の小学校教諭。真面目で間違ったことの嫌いな同女は、滝本正の最もよき理解者のひとりとして、生涯にわたり経営を支えた。
人とともに歩み、人の心を育む。「しあわせ」伝達企業
親から子へ、子から孫へ。有史以来永きにわたり仏壇・仏具は「心の窓」として人と仏、人とご先祖を結び付け、人々の心を支えてきました。滝本仏光堂は人の「心」を育むことを誇りに思い、いかにして、「しあわせ」を提供していくかを常に考えております。そのため、事業は仏壇・仏具の製造販売だけにとどまらず、修復や寺院仏具の設計・施工、そして美術品の取扱・・・と広がっております。時を超え受け継がれる和の文化を通じて「しあわせ」を紡ぐ、「しあわせ」伝達企業。
滝本仏光堂の創業の志はここに脈々と、息づいています。