阿弥陀如来立像について

阿弥陀如来は西方極楽浄土の仏さまで、浄土教の本尊であり、生けるすべての者を極楽浄土に導くとされています。

浄土思想は、7世紀前半に大陸から伝えられ、奈良時代に浄土教の素地が作られました。

平安時代に入ると天台宗の修行である常行三昧に基づく念仏が広まり諸寺の常行三昧堂を中心にして念仏衆が集まって浄業を修するようになりましたが、やがてそれが貴族の間にも浄土教の信奉者が現れるようになります。

平安時代末期、世の中には末法思想が広まります。

お釈迦様の入滅から2000年を経過した次の1万年の間は、「教えだけが残り、どのように修行をしても悟りを得ることが不可能になる時代になる」という末法は、平安時代末期は災害や戦乱が頻発したことで「終末論」的な思想としてとらえられるようになり、末法は世界の滅亡と考えられ、人々は末法の到来に怯えました。

末法では現世での救済の可能性が否定されるので、死後の極楽浄土への往生を求める風潮が高まり、浄土教が急速に広まることになります。

 

阿弥陀如来立像(舟立弥陀)

浄土宗・時宗の本尊です。

 

阿弥陀如来立像(西弥陀)

浄土真宗本願寺派の本尊です。

阿弥陀如来立像(東弥陀)

真宗大谷派の本尊です。

 

*これらの阿弥陀如来立像は、右手を上げて左手を下げて、ともに手のひらを前に向け、それぞれの手の親指と人差し指(中指・薬指の場合も)で輪を作る来迎印という印相を結んでいます。これは信者が亡くなるときに阿弥陀如来が西方極楽浄土から迎えに来る時の印相です。

*西弥陀と東弥陀の光背は櫛後光(くしごこう)と呼ばれ四十八願を表しています。

*東弥陀には身光はなく蓮のつぼみや花が咲いている飾りがされています。