退屈とは?~身近な仏教用語~

退屈

 

退屈という言葉は、「あの人の話はとても長くて退屈でした」、「休みの日なのに退屈でゴロゴロしている」など、「つまらない」、「暇をもてあます」などの意味で使われています。

 

 

この退屈という言葉はもともと仏教用語で、仏教修行のつらさに「屈」して精進するのをやめてしまうことで、修行がつらくてやめてしまうことを意味していました。文字通り「退き屈する」ということです。

仏さまの教えには、三つの退屈があります。

1つめは、仏さまの悟りの世界はあまりにも広大深遠であるために起きる退屈で、2つめは、修行の世界は終わりがないために起きる退屈、3つめは、修行の成果がほんとうに悟りつながるのか理解できないために起きる退屈です。

この三つの退屈を乗り越えられなかったら、気力はおとろえて、打ちひしがれて鬱々とした日々を過ごすことになります。

これが転じて、現在の意味になりました。

 

 

 

仏さまの三退屈は、仏の道に限らず現在社会で仕事や勉強をしていても当てはまりますよね。どんな道も奥が深く、やってもやってもキリがない。時に本当にこんなことやってて将来のためになるのか?なんて考えたりすることも。

「退屈の心」を乗り越えて、日々「退屈」せずに充実した日常を送っていきたいなと改めて考えさせられました。