仏教の歴史 その2

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お釈迦様の死後

 

お釈迦様は35歳で悟りを開き、仏陀となって以降80歳でなくなるまで各地で説法をして回りました。

 

お釈迦様の死後、その遺骸は火葬され、当時お釈迦様に帰依していた八大国の王たちはお釈迦様の遺骨(仏舎利)を得ようと火葬を行ったマッラ族に頼みましたが拒否されます。

そのため遺骨の分配をめぐって争いが起きましたが、ドーナというバラモンの調停を得て仏舎利は八分されました。

弟子たちは亡きお釈迦様を慕い、残された教えと戒律に従って跡を歩もうとし、お釈迦様が説いた法と律を結集しました。これらが幾多の変遷を経て、現在の経典として伝わっています。

 

上座部仏教

 

仏教を2つに大きく分けると部派仏教と大乗仏教に分類されます。部派仏教とは初期の仏教教団が分裂して生まれた上座部と大衆部の総称で東南アジアで広く信仰されているものが現在の上座部仏教です。いわゆる小乗仏教と呼ばれているもののことですが、これは大乗仏教からみた蔑称なので、現在この呼び方をするのは好ましくありません。

 

お釈迦様が生前の仏教において、出家者に対する戒律は多岐にわたって定められていましたが、お釈迦様の死後、仏教が各地に伝播すると当初の戒律を守ることが難しい地域が発生しました。

例えば、托鉢(たくはつ)や食事は本来午前中に済ませることが戒律の一つでしたが、食慣習の違いなどから正午までに托鉢を済ますことが困難な地域では、正午以降に食事をする者や金銭を受け取って食べ物を買う出家者が現れました。

 

お釈迦様は生前、重要でない戒律はサンガ(出家者集団)の同意によって改めることを許していましたが、どの戒律を変更するのか、また戒律の解釈についても意見が分かれました。

戒律の変更について賛成派と反対派に分かれたため、この問題を収拾するために結集(けつじゅう)と呼ばれる会議が開かれました。

この時点では、議題に上がった問題に関して戒律の変更は認めないという決定がなされましたが、戒律順守派(上座部)と戒律修正派(大衆部)の溝は深まり、のちに分裂することになります。

 

 

上座部仏教の特徴

 

大乗仏教ではお釈迦様をはじめ、如来・菩薩・明王などの多数の尊格が信仰の対象となっていますが、上座部仏教の信仰の対象はあくまでお釈迦様で、最高の悟りを得た仏弟子は阿羅漢(あらかん)と呼ばれます。大乗仏教では信仰の対象である菩薩は、上座部仏教ではお釈迦様の修業時代のことを指します。

大乗仏教では、出家、在家を問わずすべての人が救いの対象ですが、上座部仏教では救われる対象はあくまで出家した本人であるため、在家者たちにとって自分たちの悪行を避ける営みに専念する特別な存在として敬われています。

 

戒律は大乗仏教は宗派ごとに様々な解釈がありますが、上座部仏教ではあくまでお釈迦様の時代に定められた戒律を守ります。

 

教義においても大乗仏教は多数ありますが、上座部仏教において生は「苦しみ」であり、この苦しみの原因は無明(『法(ダルマ)』を理解していないこと)によって生じる執着にあるとして、無明を断ち輪廻から解脱するために最も効果的な方法とされているのが、戒律の厳守や瞑想による修行により、八正道を実践することとしています。

 

 

 

つづく