数珠(念珠)

数珠(念珠)の起源

 

お墓参りやお葬式、法事などの時に持っていくものといえば、お数珠(念珠)。

数珠の起源はお釈迦様が生まれるはるか昔3500年以上前とされていて、バラモン教の経典に出てくる毘沙門天・弁財天・梵天が持っている連珠というものが原型とされています。

また、『仏説木槵子(もくけんし)経』という教典によるとお釈迦様がインドの辺境のハルリ国王から「我が国は治安が悪く、疫病が流行している。何とかしてほしい」と相談を受けた時に、「木槵子の実を108個つないで輪を作り、何度も繰り返して仏の名を唱えなさい。そうすれば煩悩が消えて心が清浄になるでしょう。」といったことが記されています。

 

奈良時代に仏教とともに

 

数珠は仏教が日本に伝来したときに一緒に入ってきたと考えられています。

奈良の東大寺の正倉院には、聖徳太子が愛用されていた蜻蛉玉(とんぼめ)金剛子の玉数や、聖武天皇の遺品である水精(晶)と虎魄(こはく)の念珠二連が現存していますが、これはつまり遅くとも天平時代(729~749年)には数珠が伝えられていたということです。

 

余談になりますが、歴史好きの人にとっては正倉院はお宝の宝庫。

奈良時代を代表するお宝が約9000点も保管されています。正倉院は基本非公開。

中のお宝は毎年奈良国立博物館で行われている正倉院展で公開されますが、これが入場制限がかかるくらいの大人気で、人気テーマパークのアトラクションくらい待つこともあります。

9000点あるお宝のうち毎年展示できる数は限られているので今年見逃したら次はいつ見れるのかわからないという心理が一生に一度は見ておきたいという人々の心をくすぐるのでしょうね。ちなみに2016年の正倉院展は17日間開催で20万人来場だそうです!

 

一般への普及

 

さて、貴重品であった数珠は平安時代末期から鎌倉時代に入ると、いわゆる鎌倉仏教の出現とともに民衆にも浸透しはじめます。各宗派ごとにそれぞれの形式で作られるようになったのもこのころからです。

江戸時代になると幕府の政策もあって仏教は栄え、数珠の需要は急速に増え始めました。

一般への売買が初めて公に認められ、数珠の解説書も現れました。

禅僧の間で使用されていた片手数珠(略式数珠)が普及しだしたのもこの頃です。

 

数珠の形

 

数珠には本式数珠と略式数珠があり、それぞれ特徴があります。

本式数珠は各宗派ごとに特徴があり、珠の数は108個とされていて108の煩悩を鎮める功徳があるとされています。

対して略式数珠は珠の数を減らして持ちやすくしたもので、数に決まりはなくすべての宗派で使用できます。

略式数珠は一番大きな親玉とメインとなる主玉、2つある少し小さい二天、ボサ、房から構成されているのが一般的です。

 

 

最近ではアクセサリーとして数珠のブレスレットを身に着けている人を見かけますがこれは腕輪念珠と呼ばれています。

ちなみに、われわれ供養業界で働いている人で出会った方のほとんどが腕輪念珠を身に着けていらっしゃいました、あくまで個人調べですが(笑)

普段から数珠を身に着けて仏様を身近に感じる生活をおくりたいという心の表れですね。