身近な仏教用語 他力本願

他力本願

 

他力本願(たりきほんがん)とは、自らの修行の功徳によって悟りを得るのでなく、阿弥陀さまの本願によって救済されることをいいます。

他力とは自己を超越した仏さまの慈悲の力のことであり、本願とは一切衆生(いっさいしゅじょう)の救済を約束する阿弥陀さまの願いのことです。

 

 

浄土三部経の一つ「大無量寿経」によると、阿弥陀さまが法蔵菩薩として修業をしていた時、自分が仏さまになる条件として四十八の誓願をしました。この四十八の誓願は、浄土教の根拠となっており、特に第十八願は「信心を起こし浄土へ生まれようとして念仏する者は、必ずそれを実現させよう」という誓いで、「弥陀の本願」と呼ばれ重要視されています。

 

浄土門と聖道門

 

浄土教における仏教の分類の仕方として、浄土門と聖道門(しょうどうもん)があります。

浄土門とは、唐の時代、道綽禅師がとなえたもので、自らの修行によって悟りを得るわけではなく、阿弥陀さまの本願を信じ、それにすがって極楽浄土に往生し、成仏することができるとする教えのことです。たいして聖道門は、自ら修行を行い現世において悟りを得ようとするものです。浄土教では浄土門・念仏行を他力とし,聖道門・余行を自力(じりき)としました。

現在の他力本願の意味

 

他力本願という言葉は現在、「自分は何も努力しないで他人任せにすること」として使用されていますが、これは全くの誤用であり本来の意味は、念仏の教えに生きた人たちが他力(阿弥陀さまの本願)によって救われるということなので、誤解のないようにしてください。

浄土真宗の開祖である親鸞聖人も「他力とは本願力なり」と規定し、一切衆生の救済はこれによって成立するとしています。