仏教美術の集大成としての法隆寺

法隆寺

 

法隆寺は奈良県の斑鳩町にある寺院で、聖徳宗の総本山です。7世紀に創建され、聖徳太子のゆかりの寺院として知られています。

国宝である金堂、五重塔、夢殿など、現存する日本最古の木造建築物群で、1993年にユネスコの世界遺産に登録されています。

 

 

仏教美術の集大成

 

法隆寺は仏教美術の集大成といわれています。当時の日本の美術は仏教に関するものが多く、埴輪などの土器から仏像などの彫刻への技術の進化や、茅葺き家屋が一般的だった時代に五重塔の建立などの建築技術の進歩は仏教の力なしで起こりえなかったことです。

法隆寺に納められた仏具や仏像は、そのほとんどが飛鳥文化・白鳳文化・天平文化の作品で、現存最古といわれており、また木造建築では七堂伽藍がすべて国宝に指定されており、

まさに日本の美術の始まりであると言えます。

 

 

法隆寺は大きく西院伽藍と東院伽藍に分けられます。それぞれに重要な建築物や美術品がたくさんありますが、代表的なものを紹介します。

 

西院伽藍

 

西院伽藍は南大門を入って正面のやや小高くなったところに位置します。向かって右に金堂、左に五重塔を配し、これらを平面「凸」字形の回廊に囲まれています。回廊の南正面に中門(ちゅうもん)を開き、中門の左右から伸びた回廊は北側に建つ大講堂の左右に接して終わっています。回廊の途中、「凸」字の肩のあたりには東に鐘楼、西に経蔵があり、以上の伽藍を西院伽藍と呼んでいます。

金堂・五重塔・中門に見られる建築様式は、組物(軒の出を支える建築部材)に雲斗、雲肘木と呼ばれる曲線を多用した部材を用いること、建物四隅の組物が斜め(45度方向)にのみ出ること、卍くずしの高欄(手すり)、それを支える「人」字形の束(つか)などが特色で、これらは法隆寺金堂・五重塔・中門、法起寺三重塔、法輪寺三重塔(焼失)のみに見られる様式で飛鳥様式とされています。

 

金堂

 

入母屋造の二重仏堂で、桁行五間、梁間四間、二重、初層裳階付の構造になっています。上層には部屋はなく、外観のみです。金堂の壁画は日本の仏教絵画の代表作として国際的に著名なものでしたが、1949年、壁画模写作業中の火災により、初層内陣の壁と柱を焼損しました。黒こげになった旧壁画(重文)と柱は現存しており、寺内大宝蔵院東側の収蔵庫に保管されているが、非公開となっています。

 

 

五重塔

 

木造五重塔として現存世界最古のもので、初重から五重までの屋根の逓減率(大きさの減少する率)が高いことがこの塔の特色であり、五重の屋根の一辺は初重屋根の約半分です。初層から四重目までの柱間は通例の三間ですが、五重目のみ二間となっています。初重内陣には東面・西面・南面・北面それぞれに80体もの塔本四面具と呼ばれる塑造の群像が安置されており、こちらも国宝に指定されています。

 

 

釈迦三尊像

 

金堂の内陣の中の間にある本尊で、指定名称は「銅造釈迦如来及両脇侍像」(どうぞう しゃかにょらい および りょうきょうじぞう)といいます。もちろん国宝です。

止利仏師が作ったとされており、特徴としてはアーモンドアイ、アルカイックスマイル、太い耳たぶ、首に三道がないなど、当時の中国大陸の影響を受けた作風で、後世の日本の仏像の様式とは異なっています。

 

 

東院伽藍

 

東院伽藍は聖徳太子一族の住居であった斑鳩宮の跡に建立されました。

回廊で囲まれた中に八角円堂の夢殿が建ち、回廊南面には礼堂、北面には絵殿及び舎利殿があり、絵殿及び舎利殿の北に接して伝法堂が建っています。

 

夢殿

 

奈良時代の建立の八角円堂で、堂内に聖徳太子の等身像とされる救世観音像が安置されています。夢殿は天平11年(739年)の法隆寺東院創立を記す『法隆寺東院縁起』の記述からその頃の建築と考えられていますが、これより前の天平9年の『東院資財帳』に「瓦葺八角仏殿一基」の存在が記され、その頃に創立された可能性も考えられています。8世紀末頃には「夢殿」と呼ばれるようになりました。

 

 

 

観音菩薩立像(救世観音)

 

飛鳥時代に作られたとされる木像で、夢殿中央にある厨子に安置されています。長年の秘仏とされており白い布に包まれた状態で発見され、保存状態が非常によく現在も期間限定でしか公開されていません。

 

 

大宝蔵院

 

観音菩薩立像(百済観音)

 

飛鳥時代に作られた木造で、細身で9頭身の像容はとても珍しいのですが、その伝来や造像の経緯はほとんど不明です。

 

 

玉虫厨子

 

飛鳥時代に作られた仏堂形の厨子で、建築様式的には法隆寺の西院伽藍よりやや古い時代を示し、飛鳥時代の建築、工芸の遺品として重要なものです。透かし彫りの飾金具の下に本物の玉虫の羽を敷き詰めて装飾したことがこの名前の由来ですが、現在、玉虫の羽は一部に残るのみで、当初の華麗さを想像するのは難しいです。、また厨子の扉や壁面の装飾画も有名で、お釈迦さまの前世物語である「捨身飼虎図」(しゃしんしこず)、また「施身聞偈図」(せしんもんげず)は特によく知られています。

ちなみに玉虫厨子は日本最古の仏壇の原型と言われています。