三昧・自覚~身近な仏教用語~

三昧(さんまい)

 

〇〇三昧という言葉は、「ぜいたく三昧な暮らし」のように心のままにするという意味や、「週末は読書三昧」のようにひとつのことに熱中する様子を表しますが、「三昧」という言葉は、サンスクリット語でサマーディの音写で、三摩提・三摩地ともいい、瞑想で精神集中が高まり切った状態のことをいいます。

サマーディという言葉は、インドの瞑想の伝統の中で培われたもので、仏教だけでなく、ヒンドゥー教やヨガの用語としても用いられており、インドでは聖者の入滅のことをサマーディと表現します。

そしてこの精神集中という意味が一般にも浸透して現在の用法になったとされています。

 

 

 

 

自覚

 

自覚とは、自分の置かれている状況や価値を知ることです。仏教では「覚」はさとるという意味であり、文字通り「自ら覚ること」をいいます。

これに対して、悟ったものが他者を悟りに導くことを覚他(かくた)といいます。

仏さまは自らが悟りを開くだけでなく、すべての人に悟りを開いてほしいと考えました。

「大乗義章」という仏典に「覚行窮満(かくぎょうぐうまん)、故に名づけて仏となす」とあります。覚行とは覚りのままに行ずるということで、他者を悟らせるための行いということです。覚行窮満とは、自覚と覚他の行が完全であるということですから、これは仏だと説いています。